2020年3月6日金曜日

桃の節句 私の思い出

あかりをつけましょ ぼんぼりに ♪
お花をあげましょ 桃の花 ♬


思わず、お雛様を見ると歌いたくなるこの歌。

施設玄関前にも、7段飾りの雛壇を飾りました。
ちょっとお雛様の首が傾いでるのは、御愛嬌!

3日当日のお昼は、ひな祭りにふさわしく「ちらし寿司」。
皆様、美味しそうに召し上がっています。

今回は、利用者様の『私の思い出の桃の節句』と題して貴重な話しをしていただきました。

Kさんのお話し・・・
私が小学校のころ、音楽隊に入っていてひな祭りの時期になるとクラスごとで歌を歌う、学芸会があったわ。
背の順で並んでいたので、私って小柄でしょ!?
いつも、一番前に並ばされるのよ。

祖父母に育ててもらっていたので、家ではお赤飯を炊いてくれたわ。
お雛様も持ってなくて、貧しかった。

でも、学校に行くのは本当に楽しかったわ。学校が終わると家にランドセルを置いて、直ぐに学校に遊びに行ったっけ。
おかげで、体育の成績は良かったわ!

学校にはお雛様があったのよ。

私の子供は男の子1人だから、特にお雛様は飾らなかったけど、お赤飯は炊いて食べたわ!



Nさんのお話し・・・
学校から帰ると、お重にちらし寿司、ようかん、蒲鉾が綺麗に並べて入っていました。

女の子は自分のお雛様を持って、家におかずを持ち寄って食べた。
12才で戦争になった。


なので、ここの施設のお雛様を見たら、なんだか涙が溢れてきた。
遠き日の思い出が募って・・・

 「遠き日の 雛壇ながめ 涙して」

住んでいた家の蔵に、まだお雛様があるはず。

母の思い出は、「てんよせ」(天草で作ったもの)にミカンを入れたものや、ようかん、卵焼き、蒲鉾を作ってくれた。

学校が終わって、友達とゴザを敷いて食べているところに、男の子がきて食べ物を分けてあげた。

私の子供は女の子2人。
やっぱり、母の味を引き継いで「てんよせ」を作ったり、羊羹を作ったりした。
本当に、お雛様を見ると涙がでちゃう。

お雛様が終わると、赤・白・緑のおもちを切って、おかきにして食べた。

Wさんのお話し・・・
お雛様の時も、食べる物が無くてひもじかった。
空襲でお雛様も焼けてしまったわ。
ひな祭りなんて、そんな余裕はなく食べるのに必死。
本当に食べる物に困ったわ。

Iさんのお話し・・・
6人兄弟で、うち女が5人。
昔は、お菓子が無かったから、おかきを作って配ったら喜ばれたわ!

家が農家だったから、もち米はたくさんあったけど、モンペが無いときもあった。
作っていたのは、大麦・小麦を座間で作っていたっけ。
精米所に持っていって粉にしてもらって、うどんを食べた。
肉もない。
なので、豆腐屋さんが来た時は、油あげを買ってうどんのだしにしたっけ。

本当に何も無かったわ。

衣類も配給制で、油も無かった。

空襲があった時は、それはそれは大変だったわ!





今回は、皆様に昔懐かしい、またつらい思い出を
お話しいただきました。
とても、貴重なお話しでした。



ありがとう ございます。

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